胃がんを抜いて、日本人のがん患者数トップとなった大腸がん
タイムリーなことに、9月15日に国立がん研究センターから、最新がん統計が発表された。2016年にがんで死亡した人の数、そして2014年に新たにがんと診断された患者の数などが発表された。(ええと、今年は2018年なので、統計最新といえども4年前の数字なのですね…)
それによると、2014年に新たにがんと診断された患者数は、前年から1万8578人増加したそうだ。男性が約50万人、女性が約37万人。がんにかかるのは男性のほうが多いのね。
そして衝撃だったのが、私がかかった大腸がんが、部位別患者数の男女全体において、胃がん(約12万6千人)を抜いて初めて最多になった(約13万4千人)!ということ。
1.大腸がん
2.胃がん
3.肺がん
4.乳がん
5.前立腺がん
が男女全体の患者数トップ5である。
ちなみに女性のみを見ると、
1.乳がん 約7万6千人
2.大腸がん 約5万7千人
3.胃がん 約3万9千人
ちなみに男性は、
1.胃がん 約8万6千人
2.肺がん 約7万6千人
3.大腸がん 同
となっている。
絵で見るともっとわかりやすいので、がん研究振興財団の資料「がんの統計’17」から拝借しますと…
(こちらは予測がん死亡数と予測がん罹患数、2017年のもの)
私も、女性ががんになると言えば、乳がんというイメージが強かった。でも意外と大腸がんが2位だし、さらにさらに、部位別がん死亡数で見ると(上の図)、大腸が女性のトップなんですけど…。
ということは、大腸がんって、時代のトレンドね?
私ってば、時代の最先端を行ってるのね?
…全然嬉しくないトレンドですが。
ところで、なぜ胃がんを抜いて大腸がんが全体患者数トップになったのか、ということの理由としては
・胃がんの原因となるピロリ菌(汚染された水、田舎の井戸水など?から感染すると言われている)の感染者が、戦後、衛生状態の改善によって減ったため
ということが挙げられていた。
なるほど…。胃がんが減ったことで、大腸が多くなったというわけですな。
それともう一つ、よく言われていることとして、
・日本人の食生活が欧米化したこと
・日本人の高齢化が進んだこと
この2点が、大腸がん増加の要因とされている。
大腸がんは「生活習慣病」と言い切る先生もいらっしゃる。
http://www.jsge.or.jp/citizen/2006/kantou2006.html
生活習慣病ですか。
なんかあまり言われて嬉しくないフレーズ。がんになった自分の、これまでの生活習慣が真っ向から否定されている、みたいな。そんなネガティブな気持ち満載にさせてくれるフレーズである。
しかし自分にも、思い当たる節がないでもない。だからこそ、いやーな感じがするのである…。
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はじめに:このブログを書く理由
気が付くと、寝室にエアコンをつけずに眠れるほど、涼しい夜になっていた。
そうか、もう9月かぁ。
いつの間にか2018年の夏が終わったんだね・・・
この夏は私にとって、
そして私の家族にとっても、忘れられない夏になった。
誰よりも元気でパワフルで、よく食べ良く飲み、健康第一がモットーだった46歳の私が、ある日突然、「患者」になった。病名は「直腸癌」。ちょくちょう、がん。
がん、という言葉を医師から聞いた時のことは、もやっとしていてあまりハッキリ覚えていないのだけれども、ががががーん・・・っていう感じではなかったことは、確かだ。
そうか。そう来たか。
そうなんだ、わたし、がんなんだ。
自分でも意外と冷静に、その事実を受け止めた。というか、無理して受け止めようとしていたのかも知れない。その時は。
だけどだんだん、気持ちはざわついてくる。
いくらがんは治る時代と言われても、がん、ですよ。その言葉のインパクトは大きい。
時間が過ぎるにつれ、いろんなことが
夫は単身赴任で仙台にいる。高2の息子と中1の息子と、3人で横浜に暮らしている私。
平日はフルタイムで会社勤めをしている。
これから秋にかけて担当業務が目白押しである。
仕事はどうしよう?
入院中の子供たちはどうしよう?
それより、またこの家に帰ってこれるのかな?
私のがんは、治るのかな・・・?
そんな思いとともに始まった2018年の7月。
8月半ばに入院して手術して、退院していま9月。自宅に無事に帰ってこれた。
そのことにまず感謝したい。戻って来られて本当に良かった。
戻って来られたことは来られたけど、わたしのカラダは以前とは違う。大切な臓器の一部が切り取られてしまったから。これは想像以上に大きな変化であった。
直腸は失ったけれど、がんになって私が得たものは大きいし、後悔も何もない(後悔しても仕方ない。だってこれが現実だしね)。
ただ、世に大勢いるであろう「がん予備軍」の皆さんには、できるならがんにならないで過ごしてほしい、と心から思う。がんってやっぱり、結構かなり、シンドイからね。一度がんになると、結構いろんなことが制限されますからね・・・。
だから、このブログを書くことにしました。
私の体験や思いを赤裸々に綴ることで、もしかしたら誰かのお役に立つことがあるかも知れないから。こういうがんもあるんだ、ってことを知り、それが誰にも起こりうるんだってことに気づいてもらえたら。そして出来る限りの予防をしていただけたら。私が書く意味もあるってものです。
不定期の更新になると思いますが、どうぞよろしくお付き合いくださいませ。
(ブログ名について:わたし、織田裕二さんのファンでした。東京ラブストーリーの時代に東京で女子大生してました。永尾完治と赤名リカのストーリーにどきどきしてた世代です。がんが完治するということは極めて難しいことですけれど、カーンチ♪目指して私の身体には頑張ってもらわないと!という思いを込めて・・・)
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入院12日目:術後8日目 がんの先輩、鳥越俊太郎さんの声と、石弘光さんの本に出会って・入院13日目:術後9日目 証明書を依頼しそびれる&義父母に、そしてコメント励ましにありがとう
入院12日目:術後8日目
2018年8月28日(火)
やはり夜中にトイレに2回起きてしまうのは仕方ないのか…。と、もはやあきらめの日々。
今朝は5時10分に目覚めたので、日の出に間に合う!と思って窓辺に行ったら曇っていた。
ここにきて、太陽の見えない朝は初めてだ。これまでずっと、明るい朝だったのだなぁ。いや、確か手術当日は雨だった記憶がある。さて、どうだっけか。
久しぶりにラジコを聞いていたら、どこのFMだったかわからないけれど、鳥越俊太郎さんの声が聞こえてきた。がんの大先輩の、鳥越さんである。
ここだけの話、私は数年前に鳥越さんのご自宅にてインタビュー取材をしたことがある。その時は、孫の話を書いた本を出されたばかりで、そのことがメインだったのだけれど、がんで何度も入院したけれどこんなに元気!というお話もされていて、驚いたことを思い出す。ジムに通い、食生活をとことん改善し、すこぶる調子がいいと話されていた。まさかその後、自分もおなじがんになるとはなぁ。そしていま、ものすごく久しぶりに鳥越さんのお元気そうな声を病院で聞くことになろうとはなぁ…。
そういえば昨日あたりから、痰がほとんど気にならなくなった。手術後、麻酔の管を喉から入れていたせい?で、気管がダメージを受け?痰がずっとからんでいて不快この上なかったのだ。痰は飲みこまず、なるべく出しなさいと言われるも、お腹に力を入れると傷口が痛いし~。話もしずらいし~。で、嫌な存在だった痰が、消えてくれた。ようやく。これはかなり楽である。
傷の痛みもほとんどない。術後1週間ってすごい!
あとは、婦長さん、いや、師長さんに退院OKをいただくだけだ。お向かいのベッドのHさんは明日退院、奥のベッドに入ったばかりのKさんは今朝、娘さん夫婦ともに手術室へ向かった。見送り、見送られ、次々に患者さんのリレーは続いている。
10時、師長さんが来て、ついに退院日が確定した!わたしの希望通り、8月最後の日、31日の10時に部屋を出るように支度してくださいね、とのこと。良かった。退院日には、私一人の予定ではなく、迎えに来る夫の都合なども関連するからね。希望通りで本当に良かった…。
お昼過ぎ、はじめてコインランドリーを使ってみた。洗い100円、乾かし200円と安い。たまった下着とパジャマ、それにタオルを洗ってみた。今週は家族はもう来ないから、着替えが届くあてもない。だからコインランドリーはありがたい存在だ。
今日は、1Fインフォメーションコーナーから借りてきた新書「癌を追って」石弘光著を読了。
石さんは、経済学者で、一橋大学の学長も務められた方。お父様が前立腺がんだったことから癌のことを調べはじめ、そのうちご自身も同じがんにかかり、家族目線・患者目線で体験談を綴った。この癌研有明病院で手術を受けたことから、病院の様子なども細かく書かれているので私にはとても身近でリアルで興味深い内容。最上階のVIPルームのこともよくわかる(笑)
さて石さんは今どうされているのだろう…と、すぐにググってみたら。
なななんと、ニュースで報じられいた…すい臓がんで8/25に死去されたと。まさかそういうこととはつゆ知らず、何というタイミングで私は石さんを知ったのだろう。なんなんだろう、このタイミングは…。すい臓はここ有明ではなく、東京医科歯科大で治療されたらしいけれど。せっかくだから、生きているうちにお話聞いてみたかったな。ご冥福をお祈りするしかない。
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入院13日目:術後9日目
2018年8月29日(水)
午前中、1階3番窓口に出向いた。保険請求のための証明書を依頼するためだ。
すると、同一病棟で同一科で手術・入院する場合は、複数の手術・治療を1枚の証明書にまとめて書いていただけるとのこと。そのほうが経済的ですよ、とのこと。
そうなの、証明書って1通書いてもらうごとに1万円くらいかかるのですよ…。安くないんですよ…。
私の場合、このあと、ストーマ閉鎖手術を控えているから、それを終えた時点で今回のと2回分まとめて手術証明書を出してもらうのがベストなのだ。なるほど。勉強になります。
ストーマと言えば、今日は看護師さんから、今後の自宅でのケアについての話があった。交換用のパウチ(袋)は、専門の代理店と直接やりとりして購入するとか。外出時は積極的にオストメイト用のトイレを使ってよい、とか。まだ若いほうだから、だれでもトイレを使うことは気が引けるかもしれないですけど…と言われ、そうか、やはり46歳は若いほうなのねと再認識。ストーマ生活に関しては、いろいろと面倒くさそうだなぁ、というのが正直な印象。まぁ、仕方ないのですが。
お昼を食べて(8割ほど食べた)、シャワーを浴びてさっぱりしたころ、義理の両親が来てくれた。この二人が病院に来るのも今日が最後。ほんとうにお世話になりっぱなし。北海道の母が帰ってからは、この二人に我が家に寝泊まりしてもらって息子たちの食事のお世話などをしてもらっているのだ。二人とも70過ぎだけど元気で、こうして快くサポートしてくれているから、私は安心してこころゆくまで入院・休養できていますよ。感謝してもしきれません…。
二人を12階と5階のテラスまで案内し、最後は1階のタリーズでお茶をした。私は持参したポカリを飲んでいた。このところ、朝いちばんの尿の出が今一つなんだけれど、それは寝ているときに脱水気味になっているからだそう。もっと水分を取らないと、ということで日中は積極的に飲んでいます。
FBやブログへのコメントがたくさん寄せられて、みんなの励ましが本当に嬉しく、ありがたい。わたしはどちらかというと、人を励ます側でいままで生きてきたつもりだけれど、今回は逆で、励まされっぱなし。お世話してもらいっぱなしだ。これは本来の私らしくない感じがして、どうも居心地が悪いかんじがするのだけれど、嬉しいことには変わりない。私のことを心配し、案じ、無事を祈ってくれる仲間の存在は、どれだけ私にパワーを授けてくれるか。本当にね、すごいパワーをいただいているよ。これは入院してみるまでわからなかったなぁ。会って直接言葉をかけてもらうことも、会わなくても、遠くにいても、文字で言葉をかけてくれることも。どちらも同じくらい、私に元気をくれています。ありがとう。
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入院11日目:術後7日目 誰も来ない月曜日、ブログを書いてNetlfixを見た
2018年8月27日(月)
夜中、23時、2時半、4時にトイレに起きた。眠れているつもりだけど、結構起きているなぁ。一晩まるまる眠りたいなぁ。
5時半に朝陽を見に窓辺に行ったら、うーん、もうずいぶん日が高い…。もっと早く起きないと、「日の出」には出会えない。
さて、今朝の楽しみは、Google Mapでこの目の前に広がるパノラマの風景と、地図を照らし合わせてみること。これまで漠然と眺めていた有明の建物の名前を、地図によって知ることが出来る。
下水道博物館とか、パナソニックの見学が出来る施設とか。ドームという名前の企業があることも知った。アンダーアーマーなどを扱っているんだな、とか、CEOが私と同世代なんだな、とか。地図から企業のサイトに飛び、いろいろと調べるのが楽しい。
やっと周りに目が向いてきた、ということかな。自分の身体が少しずつ本調子に戻ってくると、本来のわたしの持つ好奇心気質が現れるということね。これまでは、そんな余裕はなかったというのかな。不思議と今日は、そんな調べものをしたくなったのだ。
ランチはうどんだった。麺類は久しぶりで美味しい♪
午後は1Fタリーズにてブログを書いた。1週間ぶりのブログ執筆。
いま私が何をしているか、プチカミングアウトしてみた。がんサバイバー、と名乗ってみた。
今日は誰も病院に来ない日。こんな日は、入院してから初めてだ。
だから時間がたっぷりある。本を読んだり、タブレットでNetflixを見たりした。見る映画は、がんの話ばかり。楽しい映画でも見ればいいものを(笑)
”がん”を恐れず生きる
https://www.netflix.com/title/80126485
David.S シュレベール
Meagan O'hara
がんについて、患者の気持ち、予防医療のこと、啓蒙活動のこと、いろいろと考えさせられる良作品だった。私はもう”がん”だから、この映画で語られることすべてがダイレクトにわたしに響く。
きっと、まだ”がん”でない人とは、見方が違うかもな…などと思いながら、ベッドで一人で見ていた。見て辛くなったり悲しくなったりは、しない。現実に自分に起きていることと、映画の中で起こっていることと、割と冷静に対比したり共感したりしつつ、見ていた。
そういえば今日は、悲しいニュースが一つあった。
ちびまる子ちゃんの作者、さくらももこさんが乳がんで亡くなったと。53歳。
稲光が激しい夏の夜だった。
入院10日目:術後6日目 ストーマパウチの交換練習と、北海道の母や仙台の夫としばしのお別れ
2019年8月26日(日)
5時10分に起床。朝陽には少し遅かった…すでに太陽はギラギラしていた。
ぐるりと病棟の窓際を歩いて、写真を撮った。
そういえば、病院の前にそびえる建設中のタワーマンション、なんていう物件名なのだろう?と、この日ふと知りたくなって検索してみた。シティタワーズ東京ベイ、という住友不動産の3棟建て、32階の高さがあることを知った。調べれば調べるほど素敵な物件だ。新橋や虎ノ門勤めにはぴったりな距離感の、理想的なロケーションかも!と思ったり。都心なんだけど、海がすぐそこで、しかもこの朝陽だよ…。この病院に通うにも近いしね♪
ずっと37度が続いていた体温が、今日は36.5度まで下がっていた。平熱はもともと低くて35度台が普通だったから、これでも高いほうだけど、37度に比べたらずいぶん身体が楽な気がする。
体重測定をします、と館内放送が入り、歩ける人はみんな体重計のあるところに集合した。学校みたいに一列に並んで、体重計に乗った。手術前よりも5キロくらい軽い。これしか食べてないんだから、もっと減っても良さそうなものだが…。
10時過ぎ、シャワーを浴びていたら、妹と母と次男のトリオと、今日は妹のダンナも来てくれた。日曜日だものねぇ。そして母とはここでサヨナラだ。これから午後の便で北海道に帰るのだ。
この1週間、みんなが毎日来てくれたから、楽しく乗り切れたと思う。このタイミングでがんになったことに感謝したい。
何より、がんになったのが、私で良かったと心から思う。
これが、母だったら?私が北海道に駆け付けることになるよね。その時、仕事はどうしよう。子どもたちのことはどうしよう?
仙台の夫ががんになったらどうだろう?やっぱり私は仙台に駆け付けるのか?働き盛りの大黒柱のがん入院は、いろいろな意味で大変だ。
そんな風に思うと、私が家族を代表して今回がんを引き受けた意味とか、私にがんができた意味とか、私に課せられた何かとか…きっと、あると思うのよ。
だから、私でよかったの。私だから、良かったんだ。
さて11時、ストーマのパウチ(袋)を付け替える練習の時が来た。これまで何度もビデオを見て、手順はばっちり把握しているつもり…なんだけど、看護師さんが見ている前で一人でやってみるのは、結構どきどきするし、出来るかなぁと子供みたいに不安になる。
とにかく、漏れないように、しっかりとストーマの周りに袋を貼り付けるのだ。それなりのテクニックが必要だ。
これを毎日繰り返し、最後は、卒業テストに合格すれば無事退院と相成るわけで。今日の私の様子から、希望の31日退院のセンで進めていただけるようだ。(退院日は、主治医はもちろんのこと、最終的には病棟の婦長さん:もとい、今は「師長」さんと呼ぶ…が決めるのだ。)
持ってきたタブレットで、LA LA LANDを見たり、図書スペースから借りてきた「コンビニ人間」を読んだり。少しずつ、そういう時間が出来てきた。
午後、会社の上司がお見舞いに来てくださった。とても仲の良い、女性の上司。何でも話せる、職場で一番身近な存在だ。手術のこと、これまでの経過、何がシンドイか、今後の働き方のこと…いろいろとお話した。職場ではほかに闘病中の先輩もいて、いろいろと大変そうだ。私も早く戦力になりたいけれど、この状況では。いつ、復活できるかなぁと思う。
上司は、とっても可愛い相棒を連れてきてくださった。今夜から一緒に眠るのだ。
上司を見送った後、今度は夫が一人で来てくれた。満月が美しい夜だったから、12階のテラスと、5階の庭を一緒に歩いた。私の入院はあと5日ほど続くけれど、明日からは平日だから、夫と次に会えるのは退院の日だね…なんて話をして。ここまで早かったね、って。夫の仕事も、8月はそこまで詰まっていなかったからこうして何度も来てくれたけど、9月はかなり慌ただしくなるみたい。今月の手術が実現したことは、夫の業務的にも、本当に良かったのだ。
夫とハグしてお別れし、部屋に戻り、そろそろ北海道の実家に着いたであろう母に電話した。するとショッキングなことが。藤沢に住む大叔父があと2~3週間の命だという。すい臓がんを患っていて、余命宣告を受けていたけれど、そんな急に!
私が退院して会いに行くまで、頑張っていて欲しいな…。まだお礼をちゃんと言えてないから。
そういえば、奥のベッドに新しい方が入られた。私にとっては初めての後輩にあたる患者さんだ。76歳で、結腸がんだそう。自覚症状はなく、別の持病の血液検査で貧血と出て、いろいろ調べたら大腸内視鏡でがんが見つかったんだそう。本当に、がんってものは。自分ではないと思っていても、身体の中に、あるんだねぇ…。
入院9日目:術後5日目 涙の数を数えた日&5日ぶりのシャワー♪
入院9日目 術後5日目 涙の数を数えた日&5日ぶりのシャワー♪
2018年8月25日(土)
8時に朝食が届く。毎日とても美味しいご飯でうれしい。
ただ、このところ、食後のお腹の張りが気になるから、泣く泣く腹5分目にとどめることにする。食べたものの流れが若干悪いのかなぁ、やはり手術した腸の動きは、まだまだ本調子でないのだなぁ。
この日も寝ながらいろいろと頭の中で考えていた。
そうだ、本、書こう!
電子書籍でいいから、本、出したいな。
でも、スマホやパソコンを使えないような、病院の中で手術待ちのご家族にも読んでもらいたいから、やっぱり紙の本のほうがいいな…。
とかとか。
今日に至るまでに流した涙の数とか。大きな涙は6回あったなぁ。
1回目は、コレットマーレの中華料理店で。大腸内視鏡検査が終わり、とりきれない腫瘍があって、たぶんこれは「がん」だって分かった時。築地、有明、五反田…と聞いて、これから私、どうなるの…私、がんなんだ…って。泣けるよね。
2回目は、子どもたち二人と車で金沢のアウトレットに向かう車の中で。二人が小競り合いをしていて、あんたたち、ママがいなくなったら二人でちゃんとできるの??って怒って。もしもこの二人を残して死ぬことになったらと思うと、二人が心配で、やるせなくて。泣けるよね。
3回目。夏の葉加瀬太郎フェスで、思い出の槇原敬之の曲などを聞いて。隣にいる夫の顔を見ていると、ここに二人で来られた幸せをかみしめつつも、彼を残して死んだら、夫はこれからこういうフェスにも一人で来ることになるのか…と思うと。申し訳なくて、切なくて。ほろほろと泣けた。
4回目は、お盆休みの実家で、両親への告知が迫るとき。本当のことを言う?言いたくない。でも言わなくちゃ。お父さんお母さんごめん…
5回目は、手術室に入った時。家族とハグしてお別れして。もしかしたらこれでみんなと永遠のサヨナラかと思うと…。みんなの励ましもまた、泣けた。
そして6回目。術後1日目の、ベッドから起き上がるだけでフラフラして、立って脂汗が流れた情けない日。こんな簡単なこともできなくなっちゃった自分が悲しくて、もう私はダメかもと思って泣いた。
やっぱり結構泣いてるよね(笑)
自分は強いほうだと思っていたけれど、がんのパワーは、そんな私をもこんなに泣かせるものなのだな…。
それにしても、なんでこんな涙のことを、この日に思い出したのか。それは不明。気持ちの整理が必要だったのだろうか、無意識的に。
さてこの日の担当ナースは2年目の若くて可愛いMちゃん。働き方について語った。結婚して子供も欲しいけれど、10年目くらいのキャリアになると、仕事を抜けられない立場になるから、タイミングが難しい…と言っていた。しっかりと将来を見据えて働いている若い彼女を、心から応援したいと思った。働き方改革は、医療現場にこそ、とても必要。
9時15分ごろ、レントゲン室に呼ばれた。お隣に座っていた女性は、結腸と子宮を切除し、もう何年か生きられればいいから、QOLを大事に生きたいのよ…とお話してくれた。まだ70ちょっとか、とてもお若く見えるけれど、そんな風に思っていらっしゃるのね。
そして10時過ぎ、ついに、ついに!久しぶりのシャワータイムを迎えた。もう5日ぶりですよ…。さすがにね、気持ちいいー。あらためてお腹の傷を見ると、本当にびっくりするくらい小さい。腹腔鏡手術では、へその穴プラス、4つの穴をお腹に開けたけれど、ほんとにね、蚊に刺されたの?くらいの傷跡しかない。先生、上手だなあ。
髪も洗い、ドライヤーして、すっきりさっぱりしてお昼を食べた。少し横になっていたら妹が来て、それから間もなく母と次男もやってきた。夕方には、久しぶりに長男も来てくれて、仙台から夫も合流した。とても賑やかな土曜日!
私はまだ痰が絡んでいて、声が大きく出せない。対照的に母の声は大きくて、なんだかちぐはぐな音量での会話だけれど、楽しい。そういえば北海道の母が来てもう1週間が経っていた。速いなぁ。これからの1週間もあっという間に過ぎるのだろうか。
みんなを見送って、1階から病棟に戻ろうとエレベータに乗ったら、ポルトガル語を話す患者さんと一緒になった。パウロさん(仮名)は20代で来日し、もう40年以上日本に住んでいて日本語ペラペラ。でも、ポルトガル語で話した。パウロさんの患者体験もすさまじくて、紆余曲折を経てこの病院にたどり着いたということだった。もうすぐ退院だそうで安心した。私もパウロさんも、ポルトガル語で話す非日常的な感覚を楽しんでいた。閉ざされた病院空間だけど、こういう出会いもあるから、なかなか面白いのだ。
夜は薬なしでぐっすり眠れた!トイレにも起きずに眠れた。
そのせいで、ストーマ袋には200cc近く、たっぷりたまっていたけれどね…
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入院8日目:手術後4日目、お尻とお腹の管が抜け完全チューブフリー!そして栄養指導を受ける
2018年8月24日(金)
なぜか昨夜はお尻がちくちくと痛み、まともに眠れず…。いつ眠り薬をお願いしようかと、悶々としながら午前1時半まで耐えついにナースコールを押した。痛み止めと眠り薬をもらい、その後はよく眠れたみたいで、午前6時40分に朝の回診にT先生が来た時も眠くてぼんやりしていた。
執刀医の先生に代わり、手術内容を詳しく説明してくれ、回診にもよく来てくれる若手のT先生。本当に笑顔がやさしくて、私は大好きなんだけど、明日から夏休みで帰省されるそうだ。退院の日にはまた会えますかね?と聞くと、そのころには戻っていると思いますと。数日のことだけど、先生の顔が見られないのは淋しいなぁ。最後の日には一緒に写真撮れるかなぁ、などと思っていた。
朝ごはんが運ばれて、さぁ食べよう!と思ったところで、主治医のF先生が登場。本当にいつもふらっと顔を出してくれるF先生。短く一言二言で去って行かれるけど、インパクトあります。管が抜けると、また楽になるよー、とおっしゃった。そう、私にはまだ2本の管と、点滴入れるためのポートが左腕に刺さっているのだ。
術後4日目となる今日。
何か術後の不具合が出るとしたら3日目までのことが多い、とT先生はおっしゃっていたので、とりあえず何ごともなく4日目に突入したので、術後は安定しているということね。
実際に、手術後、縫合不全などで再手術…という話も、身近に聞いた。再手術…想像するだけでしんどい…。あの全身麻酔からの、麻酔が覚めてのしんどい時間をもう一度やるなんて。想像するだけで嫌だ。そうならずに助かったよ。私の身体、ありがとう。
食欲もあり、ご飯が今日もおいしい。おいしいんだけど、6分目にしておく。腸が詰まるのが怖いからである。
今日のLINEには、キャリコン養成講座グループの仲間から、週末の試験の話が流れていた。そうだ、この週末は筆記試験があるんだった。わたしは幸いにして、7月に合格が判明していたから、今回の試験は受けなくてよい。もし不合格だったら、このタイミングで受けるはずだった…。私の身体にはがんがあったから、神様も一回目の試験でパスさせてくれたのだろうか、とか思ったり。タイミングの神様はすごい。今年の目標はまさに、キャリコン試験合格だったから、それを果たしたうえで入院ということになった。やりたいこと全部できた上での入院で良かった。このタイミングは我ながら本当にすごいと思う…。
12:55、T先生が来て、お尻の管を抜いてくれた。こ・れ・が…
今回の入院で最も痛い体験であった。お尻の管とは、肛門からすぐのところを切って縫っていたわけだが、そこの縫合不全がないかどうかを確かめる(じわじわとそこから出血してないかを見る)ための管だそうで、恐ろしいことに、結構太い管(ドレーン)が肛門に「縫い付けて」あったらしい。
まずその縫い付けていたホチキスみたいな針?をプチプチと取られる。痛い。
次にチューブをお尻から引き抜く。これがもう・・・
思わず、イタイヨー!と大人げなく声が出てしまうほど、痛い。泣きはしないけれども、泣きたくなるレベルの痛さだった。
肛門の中に5センチくらい入っていたという管は、確かに抜かれるとすごくラクになった。同時に、お腹につけられていた管(これは何だっけ?)も抜いてもらえた。こちらは痛みなく楽勝だった。
お腹から排出されるものを入れておく袋、そしてそのカバーが布製の手作りポシェットで、柄がたまたまスヌーピーだったのだけれど。結構気に入っていたけど、そのポシェットともお別れできた。(写真撮っておけば良かった!)
これで本当にドレーンフリーの身となった。こうして少しずつ私の身体は戻っていく。一日一日、たしかに少しずつ前進している。嬉しい。
この日のノートには、「元気度のうつりかわり」と題したグラフを書いていた。
手術前々日から今日までの、わたしの元気度のバロメーターを曲線グラフにしていた。そう、まさにこんな感じ。V字回復である。
14:40から、1階のセミナールームで「栄養士による食事について」の説明会に参加した。腸の手術を受けた人は必ず出るもの。約20分の短い時間ながら、コンパクトにまとまった良い情報がたくさん得られた。要するに、今後退院してからの自宅での食事はどんなことに気を付けるのか?という話。ポイントは3つ。
・ドカ食い禁止、一日5食
・術後1か月間はいろいろと注意(お酒NG、生ものもNG)
・キノコ、海藻、ナッツ、繊維質の多いものはNG
腸の手術の後、何が怖いって、「腸閉そく」が何より怖いのだ。腸が食べ物によって詰まることは、何としても避けなければいけない。キノコ、海藻などは、普通は健康にいいヘルシーフードとして認識されているけれど、腸の手術後は要注意。なぜなら、消化分解されにくく、食べたまんまの形で大腸まで届くから、たくさん食べると詰まりやすいのだ。
帰宅後2週間はおかゆ生活、というのも厳守しないと。主食はしっかりとりなさい、ということなので、おかゆをしっかり作って食べよう。白いご飯やパンはしばらくおあずけだ。
ひとりひとりの体重に合わせた必要カロリーが書かれた紙をもらって、部屋へ戻った。1日1600kcalか…いいダイエットになるな、これ。
ふと、カツ丼なんかは1食1200カロリーくらい軽くいくよなぁ…などと、頭をよぎった。
16:45 左手の甲に刺さっていた、点滴を入れるためのポートが外された。これもなにげに違和感があったので、外されて楽になった。これで完全に、私の身体には管という管がひとつもなくなった!カ・イ・カ・ン。
夕方は、横浜からお見舞いに来てくれた義理の両親とデイルームでずっとおしゃべりした。だいぶ顔色も良くなり、元気そうにしゃべる私を見て、二人ともかなり安心してくれたみたい。良かった。手術直後の私とはすっかり別人よね。
18:45 窓辺のベッドのBさんに「夕日がきれいよ!」と声を掛けられてみてみると、うん、久々にきれいな夕空だ♪
夕食後、なんだか腹部の膨張感がある。こんなの初めてだ。管を抜いたせい?食べすぎ?ちょっと心配になって看護師さんに聞いたら、お散歩で治るという。なので、1階と5階をうろうろ歩き回ってみたら、確かに少し収まった。
そういえば今日は、ストーマのトイレでの処理の仕方を看護師さんに教わった。トイレットペーパーをこよりのようにして使う方法に、なるほどと唸った。
今夜は、念のため眠る前に眠り薬をもらっておいた。痛みはないし、眠れそうな気はするけど、念のため。
…と思っていたら、やはりあまり眠れなかった。23:30、2:00、5:10に目が覚めた。最初のタイミングで薬を飲みそびれたのだ。うーん…。
お尻の痛みが、ドレーンが抜けたことでゼロになると、今度はお腹の張りや痛みに気持ちが傾くというか。痛みはどこかに一点集中で感じるものなのかなぁ。
結局、5:10以降はもう起きることにして、院内を散歩することにした。そしたら思いがけず、ビッグサイト側の窓から、葛西方面にのぼる太陽を見ることが出来た。早起きは三文の徳♪
そういえば昨日の歯科講座で、朝起きたばかりの歯磨きは非常に有効!と聞いたことを思い出し、朝焼けを見ながら歯磨きをしていた。
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入院7日目:点滴取れた!髪を洗ってもらえた!そしていろいろ考えた
2018年8月23日(木)
夜中3回トイレに起き、4回目が午前6時15分だった。
そういえば夜の10時に点滴の管を全部外され、左手が少し楽になった。自由に腕を動かせる感覚、久しぶり。こうして少しずつ、チューブフリーの日が近づいていくのね。嬉しい。
夜中3回も起きていると、じっくりと寝られないから、その間いろんなことを考えていた。人間、やることがないと、いろんなことを考えるものなのかな。考えるくらいしかすることないということか。
考えていて出てきた言葉が、
人生をリセット。リメイクしよう。
今を生きる。
人生一度きり。
そんなことをノートに書いている。(そして、のちに私のメインブログのサブタイトルに、ポルトガル語で「人生一度きり」とつけたのだった)
本当にね、手術後のカラダは、以前のわたしのものとは違っていて。好きでそうなったわけでなくて、強制リセットみたいな感じなんだけれども。人生のリセットとも言える感じでね…。ちょっとパワーダウンしたことは否めないけど、リメイクはまだまだ出来るよね。人生一度きりだしね!と。そんなことを、長い夜に思っていたわたし。
さて午前中、待望の!洗髪タイムとなった。
実に…4日ぶりかな。もうね、ペトペトだよね、髪が。エアコンで温度管理されている病院とはいえ、さすがに4日もあたま洗わないとね…
さすがにまだチューブがいろいろ体についているので、自分では洗えなくて。看護師リーダーのMさんが洗髪ルームで洗ってくれた。いろんなお話をしながら。主に、Mさんがここに至るキャリアを伺っていた。そう、わたしはキャリアコンサルタントだから、看護師さんたちがこの仕事を選んだ理由とかやりがいとか、そういう話を聞くのが大好き!もちろん、話したがらないタイプの方にはあえて聞くことはないけれど、だいたいの方は、喜んで語って下さる。そして、みんな、優しいんだよなぁ…。
この日、奥のベッドのAさんが退院された。
ロングのワンピース姿で、元気に、笑顔で!お迎えに来られたご主人と、仲良く病室を出て行かれた。Aさんにはいろんなことを教わった。私より一足先にストーマ閉鎖の手術を今回受けた方。私がこれからたどる道を、見せてくださった方だ。
Aさんの失敗談もとても役立った。最初の手術の1か月後に、食べすぎてイレウス(腸閉そく)になり激痛で病院に駆け込んだことがあると。なので、退院後のドカ食いはダメよ!と身をもって教えてくださった。そうなんだ…怖いな。
わたしも笑顔でAさんを見送ったつもりだけど、最後に握手をしたら、なんだか淋しくなって涙が出た。そこにいた看護師のMさんは、そんな私の背中を優しくさすってくださって、また涙。こういうとき、人は背中さすりに泣かされるのだね…。手術直前に、家族と別れて涙したときの看護師さんも、黙って肩をとんとんして励ましてくれた。ボディタッチ、大事。
その後、わたしはもうひとつの管が外された。おへその隣に造設されたストーマ(人工肛門)につながれていたチューブを外し、代わりに排泄物を入れる袋が装着された。あとはチューブがもう一つだけとなった。ポシェット一つの身となり、かなり移動が楽になった。
ちょうど今日は1階ロビーで、「がん患者のための歯科講座」なるものがあり、たまたま通りがかったら始まる寸前で聴衆が数名しかいなかったこともあり、誘われて聞くことにしたのだった。
主に、抗がん剤治療中は口の中がデリケートだから歯ブラシが口に入るだけでも辛いことがある、だからこういう器具で磨くのが良い…とか。
手術の麻酔の際に歯がぐらぐらしていると危険だから、事前に歯の治療が必要、とか。
全然知らない話ばかりだった。がんとお口の健康、実は相当かなり大事みたいだ。
午後、私と同じ日に大手術を受けた同室のBさんがICUから戻ってきた。まだまだ器具がたくさんついていて、しんどそうに見える。12時間に及ぶ大手術だったそうだ。わたしの3倍だ。手術前は確か8時間と聞いていたけれど、長引いたんだね…。
Bさんのところには娘さんや息子さんがやってきて、少しずつお話をするうちに、元気な様子が戻ってきたみたいで。私も安心した。家族の存在は大きいね。
そして我が家の3人組(母・妹・次男)もやって来てくれた。またタリーズに移動して、他愛のない話をした。本当に他愛のない話。でも、そこから笑いが生まれる。一人じゃ笑えないけど、みんなと一緒だから、笑える。ありがたいことだなぁ。私は幸せだ。
母は、娘がガンだなんてこと、ほかの人には言いにくい…と言っていた。そうだよね。私はもうすっかりガンに慣れたけど、みんなはまだ慣れてないよね。だからショック受けるよね。私も、FBの友達が少しずつ様子に気づいて心配の声をあげてくれていて。いつどうやってカミングアウトするものか、と悩む。入院生活はまだまだある。もう少し考えよう。
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夜になり、夕食後の散歩で病棟内をうろうろしていたら、窓の外を見ているおじさんがいた。「何が見えますか?」と声をかけたら、月の下にくっきりと金星の姿が!
「今が一番よく見える時期ですよ」とおじさんは教えてくださった。そこから病気の話が始まり、これまた壮絶な闘病ストーリーを語って下さった。余命宣告された経験があること、大動脈瘤もやったこと、もう俺は長くないから…と最後はカラっと笑っていらした。いや、すごくお元気そうに見えるんですけどね。そうなんですかね?
各地の病院事情にとても詳しくて、固有名詞をいくつも挙げて紹介してくださった。私は思わずメモメモしていた。
病棟内で誰かに声をかけると、もれなく長いストーリーが始まる。入院中、みんな誰かと話したいんだよね。うん、わたしもそうだもの。患者同士、わかりあえる共通の気持ちみたいなのがあるから、わたしもどんどん聞きたいよ。
きのう家から持ってきてもらった、お気にいりのピンクのパシーマ(薄い綿のキルトケット)は手触りが良くてやはり落ち着く。
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初めての入院だから勝手がよくわからなかったけど、みなさん、自宅から枕やら可愛いバスタオルやら、いろんなベッド回りグッズを持ち込んでいるらしかった。なので私もお気に入りを調達してもらったのだ。うん、これはいい。よく眠れそうだ…。
入院中は、なるべく自分の好きなモノに囲まれて、触れているのが幸せみたい。
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入院6日目:手術後2日目。良かった、歩けた、食べられた!
2018年8月22日(水)
しんどかった手術翌日を経て。今日は術後2日目。
昨夜は、ついに1粒、眠剤を飲んでみた。夕食後に、眠剤と痛み止めの錠剤の計2粒の薬を、看護師さんがベッドサイドに持ってきてくれる。飲んでもいいし、飲まなくてもいいよ、っていうもの。もともと薬に頼ることはあまり好きではないタイプ。だからこれもどうしたものかと思ったけれど、さすがにね…。夜眠れないのは辛い。もともと寝つきはいいし、よく眠れるタイプだから、こうやって痛みとか体中の不快感によって夜眠れないという状態は、辛いのよ…。よく、夜眠れなくてね…という人がいるけれど、今まで私にはその感覚があまりわからなかった。でも今ならわかるよ。眠れないのって、きついね。これが何日も続いたら、おかしくなっちゃうね。
ということで、初めての眠剤。ようするに睡眠薬。うちのじいちゃんは「眠り薬」と呼んでいたけど、1粒飲んだらよく眠れた。熟睡できた、と思う。
この日の朝はまだジュースのみ。
点滴で栄養を取っているせいか、丸3日絶食の割にはおなかペコペコでもない。けど、やっぱりそろそろお腹がすくよね…。お昼からはお粥が出されることになっている。待ち遠しすぎる…。
まだまだ寝たきりに近い状態。電動ベッドで頭を上げたり足を上げたり高さ調整が出来る、ということを昨夜初めて知り、多少の体位移動をする程度だ。なんとか手を伸ばして、ベッドサイドの引き出しにいれてあったスマホを手に取る。術後初スマホである(笑)そして自撮りしてみる。顔が青白く、生気がなく、しかもむくんでいる…。でも一応、弱々しくも笑ったつもり。わたしは元気よ、のしるしとして、家族や義父母のラインに送信した。
午前中も主治医や若い医師(チームAのメンバー。この病棟にはチームAとBがあり、私はAであった)が回診に来てくれる。おなかの様子を見て、人工肛門の様子を確認して…と。そうだった、わたしのへその隣には、人工肛門が作られたのだったよ!そういえばそうだった、と気づく朝。
そしてこの日の午前中、またひとつチューブフリーになった!尿の管を抜いてもらえたのだ。そもそも尿の管が通されていたのは気づかないうちであり、その時は麻酔中だったので痛くもかゆくもなく、その後も感覚は特になかった。そういえばわたし、全然トイレに行かないなぁっていうくらいの(笑)
で、抜かれるときの感覚は、ちょっとある。「力抜いてくださいね~」と言われて、息をふーっと吐いたら、もう抜かれていた。特に痛くもかゆくもなくて、良かった。
これからは、頑張ってトイレに行かなければならないのね。そっちのほうがちょっと、恐怖。なんせ、昨日は歩けなかったんだから。私、トイレまで行けるのかな…。不安。
そしてほどなくして、歩く練習の時が来た。昨日の屈辱から一夜、果たして大丈夫なのか?
今日の担当の看護師さん、昨日とはまた違う方がサポートしてくれる。小柄な方、果たして私の身体を支えられるのか?
おそるおそるベッドサイドに腰かける。ここまでは上手ですね!とほめられた。こういうささいなほめ言葉も、本当に嬉しいのだよ。なんせわたしは、横になってることしかできないんだから。
そして立ち上がってみる。お、昨日とは全然感覚が違う!
めまいもしない、脂汗も出ない、吐き気もないよ!これならいけそうだ。
その場で足踏みし、ふらつかないことを確認。よし、今日は大丈夫だ。
そのまま、点滴を連れたまま、看護師さんの付き添いで病棟内を歩いてみることにする。動くとまだイテテ…という感じで切ったところが少し痛むけれど、歩けている自分に感動!
人間、日々、進歩しているのであるよ…。嬉しいよ…。
そんなわけで、晴れてひとりでトイレに行くことが出来るようになったのだ。これはすごい進歩なのだ。
そして同時に、尿量測定が始まった。トイレに設置されたわたし専用の計量カップで、尿が1回に付き何cc出たのかを紙に記録する。時間と量を都度、手書きしていく。面倒だけど、尿の量も大切なサインなんだという。
さて、お待ちかねのランチタイム。
五分粥1/2量からの再スタートだ。うれしい…。お粥はもとより、おかずがこんなに!!
サーモンのクリーム煮だ。デザートにモモ缶も。嬉しい…。
ただ、看護師さんからは、控えめに食べるようにとのお達しである。急にたくさん食べると、腸が詰まってしまうという。それはいやだ。だから、控えめにする。食べたいけど、我慢する。
かくして、丸3日ぶりに食べ物を口にした。一口一口、ゆっくりと。かみしめるように、すこーしずつ、身体に食べ物を通していく。五分粥とは、ほとんどドロドロのお粥である。でも、お米の味がしみじみと美味しいなぁ。
味わう一方で、食べる怖さもある。食べることで、排泄物も変わっていく。それはわたしにとって、未知の世界だ。そもそも、お通じを人工肛門から出すということ自体、未知の世界なのだが。
いまのところ水分しかとっていなかったし、どうやらいつの間にか袋にたまったものを看護師さんが処理してくれていたようなので、ほぼ、排泄の実感はない。けれど、これからものを食べるとなると、それなりに出てくるわけで…。どういう感じなんだろう。未知の世界に対する不安がすこしだけ湧いてくる。だから手放しには食べられないのだ。食べること、それ自体がリハビリという感じもあり。腸の機能をまた元に戻すための、まさにリハビリなのだ。食べることが。
食べると元気がわいてきて。昨日までのほぼ無気力なわたしとはもう決別だ。なんせ、歩けるようになったしね。午後また訪ねてくれた母と次男と、埼玉の妹と一緒に、1階のタリーズまで行ってみた。すごいよね、昨日まで寝たきりだったのに、もうこんなに移動が出来る!
嬉しくて、そしてまた撮影役の次男の一言がおかしかったのか、母娘3人で大笑いしている。こんなに元気になれた自分に一安心だよ。本当に良かった。
みんなを見送り、部屋に戻ると夕食が届いていた。今度は鶏肉だ。肉は久しぶりだ~
ペロリと平らげたいくらい美味しいけど、ここは我慢の子。半分の量をキープするのだ。それにしても、この量ぜんぶ食べても207kcalって…。これ続けたら、間違いなくやせるわー。
久しぶりに空を映したくなって、窓辺に移動した。ん?今宵はスーパームーン?
大きな満月を映した。
こうして一日一日過ぎてゆく。そして一日一日、わたしは元気になる。
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入院2日目:まだまだ余裕。の手術前々日は病院を巡り、患者仲間と語った
2018年8月18日(土) 手術の前々日
入院2日目。今日は検査など特にないので気楽!
夜はまぁ、よく眠れたのだろう。最初、完全消灯の9時半にベッドサイドの小さな灯りを消して横になって、なんとなく起きたらまだ11時半でビビり、トイレに行ってまた寝たら、そのあとはそこそこ眠れたようだ。起きたら6時半だったから。誰かに対する看護師さんの検温の声掛けで目覚めた。
朝ごはんは温泉卵、野菜炒め鶏ひき肉入り、みそ汁、オレンジであった。ご飯はまだ普通のごはん!
思えば、これが最後の普通ごはんである。この日の昼からおかゆ、しかも五分がゆになったのでね…。そういえば牛乳もついていたので、朝ごはん食べてすぐにファミマでアイスコーヒーを買い、自分で持ってきたカップに移し替えてそこに牛乳入れてアイスオレにして飲んだ。
朝の体温は36.5度。このところ私にしては体温高めだ。もともと35度台後半の人だったのに。血圧は113の53、下が低いけど特に何も言われず。ちなみに夜8時の時点では36.4度、血圧は118の73であった。
今日は11時待ち合わせで義理の両親が来るというので、それまでにシャワーを浴びようと思って10時20分から予約した。シャワー室は病棟に2室あり、20分一枠で設定されている。予約用紙の希望時間帯のところに部屋番号を書いて利用する。私の前の利用者がいなかったみたいなので、実際には10時15分から利用して、余裕で間に合った。不覚にもシャンプーを2本持ってきてしまっており、その代わりリンスがないよ…。でもドライヤー前にアルガンオイルを髪に付けたら十分なめらかであった。これで今回は乗り切ろう。顔用に日頃使っているアルガンオイルだけど、髪にも使える。オイルさまさまである。
そのあとは12階のベランダに登って写真や動画を撮ったりした。わたしのいる7階とはまた視点が違って、いちだんと見える範囲が広がる。東京ビッグサイトの全容も見渡せ、遠くには、わたしが江東区民だったころにはまだなかった橋、東京ゲートブリッジも見えた。
ここにはでかでかと病院名が建物の外壁に書いてある…。まだFBやインスタの投稿には施設名をカミングアウトしていない。わかる人にはわかるレベルの書き方だけど。さあ、いつこの場所にいることをみんなに明かそうか。まだどうしようか迷っている自分がいる。書きたいような、書きたくないような。
そういえば今朝、お向かいのベッドのおばあちゃんが退院された。お帰り際に声をかけてみた。盲腸のがんだったんだそう。区の検診項目に今年から便潜血検査が入り、それで陽性になってカメラをしたら盲腸のがんだったと。でも1週間の入院で済んだと。86歳でとてもお元気。自覚症状はなかったそうだ。まだまだ長生きできるねおばあちゃん!
おばあちゃんは、息子さんとみられる男性と帰っていった。ちょっといびき気味のおばあちゃんだったので、今夜から静かに眠れるかなぁ、実はホッと一安心。病院生活は、集団生活ですからね。
そして間もなく、お向かいはすっかりきれいに掃除され、いったんベッドは引き下げられ、再度あたらしいものが搬入された。
そうこしているうちに夫と義理の両親が到着。デイルームでしばらく話をしているうちに私の昼食が届いたので、病室ではなくデイルームでおしゃべりしながら食べた。それからみんながのお昼ご飯は、1階の東京会館へ降りて。私はクリームあんみつを食べた。しばらくシュガーフリー生活を続けていて砂糖をとっていなかったから、こんなの久しぶりだ!あまい…
またしばらく食べることはないだろうから、しばし、この甘さに浸った。
義理の両親に対しては、これまでのことを、夫が上手に先生に成り代わって説明をしてくれた。おかげで、だいぶ理解が進んだようだ。かれこれ2時近くまで滞在してくれた。
2時からは同じく1階のタリーズでのコーヒー教室。なんと無料である。タリーズは、創業者の松田さんがお父さんをがんで亡くされた?とかで、病院でのくつろぎの場の必要性を感じて病院出店を目指したのだそう。まずは東大病院に入れたのが10年ほど前で、今では全国50か所くらいに病院内タリーズがあるんですって。知らなかったなぁ。
アイスコーヒーの美味しい入れ方、シロップ入りのアレンジコーヒーを教わった。生徒は私たち二人と、女性二人。このお二人は親子かと思ったら違っていて、一人のおばあさんはこの病院歴14年の大ベテラン。もう一人も方も6年前くらいに最初にかかったらしい。乳がんらしい。私が明日から手術前でコーヒーが飲めないんです、と言ったら二人は驚いていた。がんも部位によってずいぶん違うのだよね。その女性は私たち夫婦の様子を秘かに写真におさめてくれ、Airdropにてその場で連携してくださった。とてもいい写真なので、あとでアップしよう。
そしていったん部屋に戻り、それからデイルームで夫と少し話をし、スケジュール確認を11月ぶんまでやったうえで、夫は帰っていった。私は今日届いたポケットWifiを使ってみたが、すこぶる調子がいいよ!タブレットもスイスイとネットにつながるし、ワンセグでテレビも映った。
これで30日間5400円は悪くないと思う。ちなみに利用したのは楽天でオーダーしたこれ。
そうこうしているうちに晩御飯が届き、一人でデイルームで食べた。自分のベッドはどうも薄暗くて居心地があまり良くないのでね…。
食後、部屋に戻ったらちょうど奥のベッドのAさんがいたので、窓辺にしばし座ってお話を聞いた。Aさんはわたしと一緒のタイミングで入院したひと。そのあと、先に入院していたBさんも交えて3人で話をした。Bさんはストーマ閉鎖の手術で入院している人。いわば、私の先輩格である。わたしがこれから経験することを、一足先に経験される人である。
このお二人は、私どころではない大変さを経験されていた。まずはAさん。東京近県にお住まいの、56歳のお母さん。特に不調はなかったけど初めて去年夏に検診を受けたら、便潜血が出たんだそう。それで調べたら大腸がんで肺に転移があって、地元の大病院では余命3か月と宣告されたんだと…。進行させないための化学療法を、と勧められたが、納得のいかないお子さんたちがいろいろと調べたところ有明にたどり着いたんだとか。ここでは、手術は何回か繰り返すけど、取れるところまでがんを取ると言われたんだそうだ。なんとも壮絶な経緯である。余命3か月って…そんな宣告を受けた経験がおありだなんて。ちなみに、見た目はとってもお元気で、明るく可愛いお母さんだ。この日の時点で、すでに余命宣告から軽く3か月は経っている。
もう一人のBさんは52歳。自覚症状はなく、年頃だしそろそろしっかりエコー検査でも受けてみよう…ということでやってみたら、がんが見つかったと。平たいタイプのがんで、そこそこ大きかったので、まず放射線治療で5日間通ったけれど、これがとっても痛くて大変だったんだって…。その後、抗がん剤もやったとのことだが、そっちのほうがまだ良かったんだって…。つらい治療を頑張ってこられて、今ここがあるんですね。二人とも右胸の上の、抗がん剤を入れるところ(ポートと言うらしい)を見せてくれたけど、私には痛々しく映った。お二人はもうすっかり慣れた風に、「これあるとシートベルトとかリュックができないのよねー」なんて言い合っていらっしゃる。強いな。
とにかく、お二人のこれまでの闘病体験談は、私にとって結構かなり衝撃的であった。私など、本当に、がん患者を名乗るのも申し訳ないくらいですよ…。
それにしてもお二人とも顔色はいいしふっくらしているし、とてもがん闘病中には見えない。そして、明るい!
聞くと、お二人とも食べるのが大好きでよく食べるんだそう。アルコールは二人ともあまりとらない。タバコも吸わない。Bさんは、自分は暴飲暴食が原因かな、とおっしゃっていた。うーーーん。なんだろうね、がんの原因って。みんなの共通項があるわけでもなく、本当にわからなくなる。
この日の夜はなんだか眠りが浅くて、10時に一度寝て0時半に一度目が覚めて、そのあと目は閉じるものの寝つけなかった…。何度も寝返りを打ったけど、なんだかね。いろいろと頭に浮かぶことがあった。なんで私はがんになったのかなぁ。好奇心が強い私だから、未知の世界を知りたい気持ちはいつもある。いまいるこの病院の世界は、未知の世界。その世界を知り、みんなに知らせるために、私はがんになったのかなぁ、とかね…。
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