がんストーリーは突然に~46歳、働き盛りの2児の母による大腸がんブログ~

2018年夏、元気印の働く母が突然がん患者になっちゃった…入院そして外科手術を経て、まだまだ続くがんストーリーを綴るブログです。

入院4日目:いよいよ手術当日。その日したこと、思ったこと、そして手術直後のシンドさよ…

2018年8月20日(月)

 

昨夜はどうやらよく眠れたらしい。同室のAさんとBさんが何度も夜中トイレに行ったらしいのだけれど、全然気づいてない…。熟睡できたんだねぇ、不思議。自分は4時に目が覚めて、そうだそうだOS-1を5:10までに飲まねばならない!と思い出して飲んだ。もう一つ紙パックのほうの飲み物も飲んだ。元気注入のための、飲むサプリらしい…。ネスレが出してるんだ。へぇー。

 
ネスレヘルスサイエンスアルジネード ウォータースポーツドリンク風味125ml×24本セット栄養機能食品 アルギニン2500mg・亜鉛・銅 100Kcal

 

まだ下剤効果で水様便が出て、カスもまだ出るんですけど…

大腸内視鏡検査の時よりキレイにならなくていいとは言うけど、なんか、やだなぁ。切ってもらう時に、できるだけ大腸はキレイでいて欲しい。美大腸がいい。わたしって見栄っ張り?(笑)

 

確かに飲み物を飲んだら少し元気が出た気がする。

 

それにしても、まだ4時過ぎだ。無理して眠らずに、iTunesで音楽を聴いて過ごすことにする。葉加瀬太郎生誕50周年ライブの時に演奏された曲をいろいろ聞いた。なぜかそういう心境だった。

calorina.hatenablog.com

PRAYER(矢野顕子)とか、夢で逢えたらとかめ組の人(ラッツ&スター)とか。佐藤竹善さんがコブクロとうたった木蓮の涙が素晴らしく良かった。そしてマッキー(槇原敬之)のアルバム「君は僕の宝物」を通しで聞いたら、懐かしくて切なくて涙が出てきた…。マッキーいいわ~。


君は僕の宝物
 

 

そうこうしているうちに看護師さんが来て、熱と血圧を測った。今日は顔に

アルガンオイルつけていいか聞いたら(手術の前はノーメイクですよと言われていたので一応確認)、口の周りとかにテープでいろいろ貼るから、オイル系はNGと言われた…そうなのかー。ではおとなしく何もつけずに過ごしますよ。ぎりぎりまで顔は洗わないぞ。ぎりぎりまで自分の脂で顔を潤わせるぞ!(乾燥大敵なアラフォーですから)

(ご参考:オイル美容との出会いの話はコチラ

 

窓辺の二人がおしゃべりを始めたので私も参加した。空は曇り。ここにきて4日目にして、初めて青空が見えない朝だ。窓を開けたら風が涼しい。秋だねぇ。

 

f:id:calorina:20190217222143j:plain

 

…という程度のことをFBにアップした。人生始まって以来の大仕事をする、と書いておいた。これでどういう展開を人は想像するだろうか。まさか元気印のこの私が、直腸がんの切除手術をすると想像する人は果たしているだろうか。ちょっと興味深い。有明 病院 でググったら、私の居場所はもうここしかないと思うけどね。そもそも私が病院にいることを想像できる人はどのくらいいるのかなぁ。私自身、いまこうしてここにいること、本当に想像もつかない事態だからなぁ。

 

そうこうしていると、回診の先生がやってきた。おなかを触って様子をみてくれた。この先生の笑顔は本当にやさしいなぁ。小さいころからやさしい男の子だったんだろうなぁ。今日子供たちも来るんです、先生に会えますかねと聞いたら、説明は執刀医の先生がしますけどたぶん僕にも会えますね、と。こういう素敵なお医者さんが日本の最高峰の病院で活躍していること、息子たちよ、よーく覚えていておいておくれよ。

 

さて。いまの、朝7時の心境はというと。

 

もうまないたの鯉というか。私が頑張れること、それは、病院のコントロール下におかれる中で、それに忠実に従うことしかできない。9時以降はOS-1しか飲まない、5時10分以降はそれすらも飲まない。水も飲まない。前日の絶食とかね。その程度です、私が出来ることは。あとは手術前にできるだけ体力をつけておくこと。どうしよう、ラジオ体操や筋トレでもしようかと、いまふとデイルームで思っている…(今更そんなことしても付け焼刃に決まっているのに)

 

体力をつける意味では、OS-1ともう一個のドリンクをちゃんと飲むことはきっと有効。あとはなんだろうな。精神的に余裕を持つことだろうか。音楽聞いていると落ち着くね。ここにきて3日間はなぜか音楽を聞いてなかった。聞けばよかった。いやこれから聞けばよい。音楽は大事。

 

アロマは毎日使っている。朝はグレープフルーツ、午後はスイートオレンジ、夜はラベンダー。これもほのかな香りで大丈夫そうだ。枕元に一滴、私にしか香らない程度に使う。こんなふうに、自分がリラックスするすべを、たくさん持っておくといいのだよ。

 

 

そろそろ家族が来る頃だろう。7時から駐車場に入れるから、早く家を出ると言っていた。昨夜は母と、夫と息子たちと、みんなでお寿司屋さんへ行ったみたい。わたしのいない家で、北海道の母ひとり混じって、大丈夫かな。私の代わりにきっと家族のひまわりになって、笑顔で過ごしてくれていることでしょう。ありがとうお母さん。



7:45 家族が到着。

久しぶりに会う長男は一段と大きくなったように見えた。彼はここに初めて来る。ちょうど少し前にやっていたドラマ「ブラックペアン」で見た病院の雰囲気と似ていて、いろいろと興味深そうな様子である。

8:00 顔を洗い、歯磨きをし、髪を片側に結ぶ。手術帽をかぶるから、片側だ。

みんなが揃い、勇気づけられ、わたしは手術着に着替え、手術室へと向かう。

f:id:calorina:20190217222602j:plain




長男はサラッと一言、

「ママって死ぬの?」と私に聞いた。

今回の件で、一番クールに受け止めてて、自分は自分でサッカーの夏の練習に必死で、とりわけ私に何を言うでもなかった長男。まぁ、何かを言いたくても言うチャンスもなかったね。しかし、久しぶりに会った母親に、この質問て…。

 

北海道からわざわざ母が単身上京し。

そして私の病名はがんで。

病院で、完全ノーメイクで、絶食によりやつれ気味の私を見て、これはやはりただごとではない!と思って思わず口から出たのかなぁ。

これまで彼が抱いていた、そこはかとない不安が、思わず口をついて出たのかなぁ。

 

「ママが死ぬわけないじゃん。大丈夫だよ。」

 

わたしは心からそう答えた。

 

家族はみな、手術室の前まで一緒に来てくれた。手術室に行く用の、大きなエレベータに乗って。

 

わたしは一人一人とハグをして、もしかしたらこれが最後の別れかも…と、ちょっと思って。無性に悲しくなった。麻酔から目が覚めなかったら。手術中に何か起こってしまったら。その可能性はゼロではない。いくら楽天家でB型な私でも、このシチュエーションにはかなわない。涙をこらえるのがもう必死。でも泣いたらみんなに心配かけるし。

 

「じゃあ、行ってくるね。頑張ってくるね!」と手を振って、お別れした。

この時間はたくさんの患者さんが手術室に来るから、すぐにみなさん移動を…と言われたけど、写真を1枚とるだけの時間は与えてくれた。

f:id:calorina:20190217222715j:plain




家族に背を向けたとたん、こらえきれずに涙があふれた。部屋からずっと付き添ってくれている看護師さんが、だまって優しく背中をトントンってしてくれて、無言で励ましてくれて、それがすごく優しくて余計に涙があふれた。

 

手術室の手前の部屋では、別の看護師さんが対応してくれた。手術担当の方らしい。パソコンのあるハイチェアに腰かけ、名前とか生年月日などを告げて本人確認。これからやる手術は・・・と、画面を見ながら、申し送りと言うか、最終確認をしているようだ。もうこの頃になると、涙もない。もうあとは、先生に、スタッフの皆さんに、全力を尽くしていただくよう願うだけだ。

 

そしていよいよ手術室へ。ドラマで見たことがある手術室の感じより、もっと明るい雰囲気に感じられた。ヒーリング音楽みたいなBGMがかかっている。水色っぽいベッドに横になり、麻酔科の先生の処置を受ける。左腕に太めの針が刺される。この針とは、手術後もしばらく付き合うことになる。

 

麻酔科の先生とは軽く話をした。全身麻酔って初めてです。どんな感じなんでしょうね…と、私はこの期に及んでもおしゃべりでべらべらとしゃべっていたから、先生は、どうぞずと実況していてくださいよ、と笑った。そうこうしているうちに、天井がゆらゆらしてきて、全然知らないうちに、麻酔が効いて私の意識は遠のいたようだ…。

 

手術室に入ったのは朝の8時過ぎ。

終わったのは午後1時近かった。

ベッドに寝かされたまま、肩をたたかれて名前を連呼され、終わりましたよ~これからお部屋に戻りますよ~と声をかけられた。そのくらいはなんとなく聞こえているけれど、目はうっすらとしか開かない。手術室からの移動中、ベッドがごろごろと動いている感じはあった。酸素をつけていて話しにくいうえ、口が乾いてねばねばしていて、とても不快で辛い…。

 

部屋に戻り、いろんな機器が私の周りに取り付けられる。心電図?点滴?あとは、フットマッサージャー。これは、血栓がポーンと飛んで脳に達して死んじゃうのを防ぐらしい。いわゆる、エコノミークラス症候群を防ぐらしい。わたしはもうなされるがままで、何の感情もない。

 

そのうち家族が私を取り囲み、私の様子を覗き込んでいることに気づく。義理の両親も来てくれたんだ。大丈夫だよ、無事に終わったよ、安心して!よく頑張ったね!と、夫と母が口々に私に告げる。目はうっすらと開けられるから、母の顔も夫の顔も、息子たちの顔も見えた。でもみんな笑顔ではない。さすがに。(その時の私の様子があまりにも痛々しく、気の毒で、可哀そうに見えていたんだって。後日談)

 

肝心のわたしは、その時はまだとにかくしんどくて。目をずっと開けていられない。だるい。とにかく、疲れてる感じ。そして、じくじくと痛い。麻酔が切れてきたのだろう。じくじくと痛い…。切ったあたりが、痛む。

 

それに加えて、なぜか左手のひじの内側がものすごく痛む。それと、腰が痛む。なぜにひじと腰? 看護師さんに聞くと、手術同じ姿勢で4時間も5時間も固定されているから、そのせいで腰などが痛むひとがいますね、とのこと。なるほどそういうことですか…。

 

とりあえず、手術はすべて順調でしたよ、予定通りでしたよ、と執刀医で主治医のF先生がいつもの笑顔でベッドまで来てくれたことで、私は心底安堵した。

 

痛み止めは点滴でずっと体に入ってきている。そして、手元のボタンを押せば即効性がある痛み止めを別途、注入できるという。連続して何回も押せないけど、痛いときは我慢しないで押していいと言われた。でも、とても強い薬だから、副作用で吐き気が起こったりするとも言われた。それは怖いな…でも痛いな…

 

わたしは痛みには強いほうだと思う。ブラジルで二人目を出産したとき、痛くなったら麻酔を入れるから言って!と主治医に言われ、痛いです!と言ったときにはもう赤ちゃんの頭が出始めていて、もう麻酔しても遅いよ!って。タイミングが間に合わなかったことがあった。そのくらいギリギリまで我慢できるんだよ、私。

 

だから、このボタン式痛み止めもなるべく使わないでいようと思った。けど、そうもいっていられない痛みが、その夜は何度か訪れた。とにかく腰が痛いのだ。湿布を貼ってもらい、腰にクッションを挟んでもらい、出来ることは全てしてもらったけど、そもそもまともに寝返りが打てない。微妙に体の位置を変えることくらいしか出来ない。全身麻酔後の身体はキツイよ、と事前に聞いてはいたけれど、正直こんなにシンドイとは想定外ですよ。手術って、きついことなんだな。よく、手術したんだ~って、ひとはさらりと言うけれど、この痛み、このしんどさ。さらりと言えるレベルじゃない。手術を受けてこられた皆さん、こ、こんなにしんどい思いをされていたのですね…今までそんな風に思ってなかった。ごめんなさい。

 

当然、夜はあまり眠れていない。痛みより、眠れないことがつらかった…。

 

体はいろんな管だらけだ。尿も管から。だからトイレにはいかなくていい。栄養は点滴から。だから食事もとらなくていい。わたしはもう、ひたすら横になっているだけだ。ああ辛い。いつまでこの状態が続くのかな。早く時よ過ぎてくれ…。

 

正直、手術がうまくいったとか、私の身体に何が起こっているのかとか、人工肛門がどうしたとか。もう何も考えられない。無の状態。思うのは、ただ、早く痛みよ消えてくれ。それだけだった。

 

でも、生きて手術室から帰ってこれたんだ、と思うと。痛いのくらいかわいいもんよ。

生きてて良かった!

 

次の記事はコチラ。

c-calorina.hatenadiary.jp